話し相手がいないので、ブログに綴ってみた

三流医師のひとりごとです。気にしないでください。

白内障手術が、「成功した」とは?~患者さんと眼科医の考え方のズレ~

先日、プレジデントという雑誌に、

眼科と眼鏡屋に関する特集記事が掲載された。

(PRESIDENT(プレジデント)2019年7/19号(眼医者、メガネ屋のナゾ)

 

ざっと読んでみたが、眼科医としては

どうでもいいような内容だった。

 

その中で気になったのが、

白内障を受けるなら、成功率が高い眼科で

受けたほうがいい、という素人が書いた記事だ。

 

では、何をもって、白内障の手術が成功した、というのか?

それについては、一切何も触れられていない。

 

笑い話だが、

「手術は成功したが、患者は死んだ」

というのがある。

 

つまりは、

医者側から見た、成功、と

患者側から見た、成功、とは

違うのだ。

 

医者側から見た、白内障の手術が成功した、とは、

創部不良なく、

前嚢切開時、流れてしまうことなく、

超音波乳化吸引時、後嚢破損なく、

眼内レンズも、うまく入った、

これで、手術は成功した、となる。

途中、うまく行かないことがあっても、

最後に無事、眼内レンズが入れば、なんとか成功した、と言える。

 

ところが、

患者さんからすると、それは当然のことになる。

問題は、手術後の見え方がどうか、だ。

 

こういうケースが考えられる。

 

遠くが見えるようになりたかったのに、

度数が予定よりも近視寄りになってしまった。

それで遠用メガネを掛けなくてはいけなくなった。

 

予定よりも遠視になってしまい、

近くも見にくいし、遠くも見にくい。

遠近両用のメガネが必要になってしまった。

 

両眼手術したが、左右の度数がずれてしまった、

それで両眼でうまく物が見えない。

 

ひどい例は、

保険適応外の遠近両用の眼内レンズを、

何十万もかけて高い費用を払い、入れてもらったのに

度数がずれてしまい、遠近見えるどころか

遠くも近くも見にくくなってしまった。

結局メガネが必要になって、あまり意味がない。

 

患者さんにしてみれば、

せっかく白内障の手術をしたのに、

あまり見えるようにならなかった、ということになる。

 

これらは、さっき言った、

「手術は成功したが、患者は死んだ」

と同じことだ。

 

手術成功率が99%、とかって言っている眼科でも

こういったことは頻繁に起こる。

つまり、医者が言う手術の成功率と、患者さんの術後の満足度は

関係がないのだ。

 

この考え方のズレは、どこから生じるかというと、

医者の言う「視力」と、患者の言う「視力」が違うからだ。

 

医者の言う「視力」とは、

矯正視力のことを指す。

 

矯正視力とは、矯正レンズを入れて視力を測り、

最大限でる視力のことを言う。

メガネ視力とも意味が違う。

強い度数をMAX入れた視力のことで、

その人の、本当のものを見る視力の数値、ということになる。

 

ところが、

患者の言う「視力」とは、

裸眼視力のこと指す。

 

裸眼視力は、メガネを掛けない視力のことだから、

近視とか、遠視とか、乱視とかあれば、当然下がる。

だけどメガネを掛けたり、矯正すれば視力は出る。

つまりは見かけ上の数値ということになり、

その人の、本当のものを見る視力の数値、というわけではないのだ。

 

だから、

医者からしたら、

白内障の術後の視力が、裸眼はどうであれ、

矯正して手術前よりもよく見えるようになっていれば、

問題なし、と言えるのだ。

 

患者さんからすると、白内障の手術はしたけど、

やっぱりメガネはいるのね、となる。

ただ、明るくなったし、

メガネを掛ければ、以前よりもはっきり鮮明に見えるようになったわ、

となって、トラブルになることは、私のところでは皆無だ。

 

ただ、

度数の左右差が大きくて困る、とか、

思っていたほど見えるようにならなかった、とかとなると、

やはり患者からして、手術は失敗した、と思うであろう。

 

問題は、保険適応外の、遠近両用の眼内レンズを入れた場合だ。

 この場合の、成功は、シビアだ。

 

なにせ、裸眼で視力1.2とか出さないと、

患者さんが満足しないからだ。

高いお金を払ってやってもらっているので、

要求度が高く、思ったのと違うとクレームとなる。

 

だから、遠近両用の眼内レンズを入れる場合は、

やはり予定通りの度数に仕上げないと、失敗した、となる。

 

度数がずれていたら、レーシックをしてフォローするのは

逃げの手口で、それも含めて成功した、というのは嘘であり、

患者さんにとっての損失を穴埋めしただけでなのである。

 

その遠近両用は別として、私達医者側からすれば、

 一般診療の白内障手術では、

術後にメガネがいるようになるかもしれないが、

とりあえず水晶体の濁りが取れて、前よりもよく見えるようになれば

手術は成功だと思ってほしいところである。

 

ちなみに私のところでは、

手術の成功率で言ったらほぼ100%。

でもだいたいどこでもこれくらいだと思う。

 

患者さんとのトラブルになった例は

医者になって20年、皆無である。

5年に1度くらい、後嚢破損というのをやらかすが、

それでも無事なんとか手術を終えるか、

近くの有名眼科へすぐさま紹介し、その日に続きをやってもらって

結局無事に済んでいる。

 

術後の度数は、

ばっちりぴったりが3割、

だいたい予定どおりが6、7割、

思ったよりもずれちゃった、というのは1割もない印象だ。

ホールインワンのプラスマイナス0もたま~には、いる。

 

近くの開業医では、たまに度数がすごいずれるみたいで、

ときどき私のところに泣きついてくる患者さんがいる。

 

 

 

散歩したって、なんの運動にもならない、という事実 ~運動しなさいと医者に言われたら~

眼科では、全身に関係した疾患で通院している患者さんも結構いる。

私のところのような総合病院では、同じ受診日に

内科へ行って、整形へ行って、それから眼科に来る、

なんて掛け持ちをしている人も多い。

 

糖尿病の患者さんは、全身に合併症をきたす。

目も、糖尿病の網膜症をきたす可能性があるので、

皆さん定期的に受診されている。

 

そういう方に、

運動していますか?

と聞くと

大抵の場合、していない、と答える。

 

歩いている、と答える方もいる。

 

歩くのはいいが、問題は、どう歩いているか、だ。

もし、ぶらぶら歩いているとしたら、それは「散歩」だ。

 

散歩を運動だと思っている人が多い。

ところが、ほんとうは散歩は運動ではない。

 

散歩の効用は、

1.気分転換

2.足裏の刺激によるボケ防止

くらいだ。

 

だから散歩を、歩いているからと言って運動と思っていると

大間違いとなる。

 

運動というからには、

心拍数がある程度上がって、体に負担がかからないといけない。

 

散歩なんてブラブラしたって、

心臓もドキドキしないし、季節のいいときは汗もかかない。

そんなの運動でもなんでもないのだ。

 

生活習慣病予防には、ウォーキングがよい。

ネットで調べれば、歩き方が書いてある。

スピードは、息は弾むが、会話ができるくらいがよい。

心肺機能を維持し、筋肉の低下を予防し、

体脂肪を燃焼する。

糖尿病でインスリンを打っている人でも、

食後1時間以内なら、低血糖になる心配は少ない。

 

しかしウォーキングも、

維持が目的であって、高めるためではない。

心肺機能の向上は、もっと心拍数が高くなるような

運動をしないといけない。

筋力の向上は、筋トレをしないといけない。

あくまでウォーキングの目的は、維持だ。

ただし体脂肪は十分燃焼できると思う。

 

膝が痛くて歩けない、という人がいる。

そういう人は、自転車か、水中ウォーキングが良い。

自転車が不安な人は、後ろが2輪になっている自転車もある。

 

私の隣に住んでいるご老人も、

よく散歩をしている。

先日、久しぶりにお会いしたが、

膝は曲がって、上半身は前傾となり、

明らかに体幹の筋肉が落ちている。

散歩じゃなくて、ウォーキングをしていれば

そんなことにはならなかったはずだ。

 

体の筋肉は40歳も過ぎれば、

1年に1%ずつ筋力低下をきたす。

だから何もしなければ

80歳には40%も筋力が落ちてしまうのだ。

 

筋肉を作るのはタンパク質だが、

歳を取るに従って、だんだんと食が細くなる。

本当は若い人でもお年寄りでも、

必要なエネルギー量はそれほど変わらないのに

摂取量が減ってしまうので、筋力も落ちてしまう。

 

だから筋力低下を維持するのに、

タンパク質を十分に取って、

筋力トレーニングが必要となる。

 

先程の、隣のご老人は、

スポーツジムに通っているという知り合いを、バカにしていた。

それで自分は畑や庭仕事をして、体を動かしているから

いいのだ、という。

 

それも間違いではないが、

庭仕事は運動ではない。

日常労作だ。

 

運動と、日常労作は違う。

運動とは、計画的に、一定の時間継続して、体を動かすことを言う。

だから日常で体を動かしていても、動いたり、止まったりしていれば

それは運動しているとは言えないのだ。

その証拠に、肉体労働者は生活習慣病にならず、みんな若々しいのかというと

そういうわけでもなかろう。

 

医者もそういった知識がない。

患者さんに運動しなさい、と言うが、

どういうふうに具体的にするのかは知らない。

 

私の知っている医者が、

最近お腹が出てきたからといって、腹筋をしていた。

しかもその人は、糖尿病が専門の内科医だ。

 

この人は運動に関する知識がないにも程がある。

 

まず腹筋を鍛えてもお腹は引っ込まないこと。

腹筋は薄い筋肉なので、そこを鍛えても

お腹の脂肪は減らない。

 

次に、腹筋トレーニングの仕方が間違っている。

よくある床でする腹筋は、仰向けにしてから上体を

起き上がらせることを繰り返すが、

その人は1回するごとに、床にぺったんと背中を付けている。

これでは、筋トレにならない。

 

筋トレの目的は、筋肉を疲労させることだが、

それだと、1回毎に筋肉を休めていることになるので効果がなくなる。

疲労の蓄積を数字で表すと、その人のやり方だと

0→1→0→1、の繰り返しだ。

正しい腹筋の仕方は、背中が床につく前に止めて、そこから上体を起こし、

前傾になったところで意識して腹筋にギュッと力を入れる。

これを繰り返せば、筋肉の疲労は、

1→2→3→4、と蓄積していく。

 

その医者は、普段全く運動をしない。

運動をしないことを指摘すると、

外来と病棟をいつも往復しているからいいのだ、とか、

血液検査が正常だから運動しなくてもいいのだ、とか、

言っている。

 

世の中には、こんなアホな医者もいるのだ。

これで糖尿病の患者に、運動しなさい、とか言っているかと思うと

笑えてくる。

 

 

私は、以前NSCAという国際スポーツトレーナーの受験をした。

本で読んで勉強しただけで、実技の指導は受けられなかったので

実際の試験には落ちてしまった。

その代わり、日本医師会の健康スポーツ医の資格は取った。

糖尿病合併症と運動の講演も、何度かさせていただいた。

 

実際の診療で、患者さんに運動のことも話しているが、

なかなか実際に行動できる人は少ない。

逆にそうだから、ずっと糖尿病で通院することになってしまうのだと思う。

 

 

上手な眼科受診のしかた~こんな患者は医者から嫌われる~

目の調子が悪くて眼科にかかるとき、

問診票の書き方で、損をしている患者さんが結構いる。

 

問診票ひとつの書き方で、

ドクターの対応や検査など、

かなり変わってしまう場合がある。

 

まず一番いけないのは、

あれもこれも書く人。

 

本当は、右目が見にくい、というのが

今回受診した一番の理由だとしても、

あ、そうだ、あれも書いとこう、とか、

これも一緒に診てもらおう、とか、

主訴をたくさん書くと、かえって損だ。

 

外来は混み合っている。

診察時間は限られている。

一人にそんなに何分もかけていられない。

 

いっぱい書いてある問診票を見て、

医者は、「うっ」となる。

 

結局、この人、めんどくさい患者だな。

となってしまう。

たくさんあると、それぞれにそんなに説明もできないから、

ざっと簡単に済ませ、とりあえず薬を出して帰ってもらう。

となるのだ。

 

医師にとって、忙しい外来では、

患者さんにまずは(診察を終えて)「帰ってもらうこと」が、

一番大事なのだ。

 

欲張り者は損をしてしまう。

 

一番いい問診票の書き方は、

まず、今日来院しようと思った、一番困っていることだけを書く。

その他のことは、その後通院していく中で、

小出しにしていく。

医師との関係を築きながら、いろいろ相談していくのだ。

 

目薬を処方するにしても、

一度に色々出すと、結局あとで、どれが良くて、どれが良くないのか

判断に困るのだ。

 

だから、不調が複数あっても、まずは一番困っていることを治療して

点眼は1種類ずつ増やして調整していき、様子を見ていく。

それが一番いいと思う。

 

いちばん嫌な患者さんは、

自分の不調を、紙に書いてくる人だ。

 

紙に、どのように調子が悪いのか、とか

どんなふうに見える、とか

ぎっしり書いてくる人がたまにいる。

 

こういう人はちょっと頭がおかしい、神経質な人だ。

目の不調のことばかり考えているから、そんなことをしてしまうのだ。

 

こんな人もいる。

 

「10時42分、右目がちくっとした。」

「12時50分、左目がころっとした。」

「15時23分、ちょっとぼやっとした。」

などと、延々実況中継を書いてくる。

 

「目の不調ノート」みたいなのを作って、

いっぱい書いてきて、

これを先生に読んでほしいのです、といってくる人もいる。

 

目薬を、何時何分に差した、と

いちいち全部書いて、持ってくる人もいる。

それで、目薬を差すことで、頭がいっぱいなのだ、とか言う。

 

そういう人には、そういうことをするのを、

一切やめるように説得する。

 

すると、こう反論するのだ。

 

「書いておかないと、忘れてしまうのです。」

と。

 

書いておかないと忘れる?

 

もう、そうなると、本末転倒だ。

忘れてしまうような症状は、どうでもいい症状ということだ。

 

結局、そういう人は、書くのをやめるように言っても、

次の受診のとき、また書いてくる。

 

いつも目のことばかり考えていて、

調子が悪いところを探しているのだ。

おそらく、他の科でも同じことをしていると思う。

 

ただひとつだけ、紙に書いてきてほしいことがある。

それは、どの点眼が、何本いるか、だ。

 

診察の最後に、前の目薬、何本出しますか?、と聞く。

すると、カバンの中からゴソゴソ点眼瓶を取り出し、

数え始める。とにかく時間がかかって困る。

 

あれ、どこ行った?、とか言ってカバンから出すのも時間かかるし、

数えるのも時間かかる。

 

しかも、何本いるか?、と聞いているのに

何本残っている、と答える。

 

点眼の減るペースは人によってまちまちなのだ。

1週間で2本も3本もなくなって、

目に薬をぶっかけているのか?という人もいるし、

1本で1ヶ月以上もって、あんたほんとに差してるの?

と疑わしくなる人もいる。

 

だから教えてほしいのは、何本残っているかではなく、

次の予約日まで、何本いるのか、ということだ。

 

大抵のお年寄りは、点眼の名前が全くわからない。

最近はジェネリック医薬品になっているので、

こちらで例えばキサラタンと処方しても、薬局でラタノプロストとなる。

フルメトロンが、フルオロメトロンだったり、オドメールだったり

もう名前がバラバラ。

 

紛らわしいのもある。

ソフトサンティアとかマイティアという人工涙液がある。

ところが、ソフティアという疲れ目の点眼がある。

医者側も、もうわけがわからない。

 

医者もわけがわからなくなっているのに、

お年寄りに点眼の名前がわかるわけがない。

 

それで、黄色い目薬だの、赤い目薬だの、という。

 

ところが、だ。

その言っている色が、キャップの色の場合もあるし、液体の色の場合もあるし、

ラベルの色のこともある。

ひどいときは、ラベルのちょっとした部分的な色を言っているときもある。

わかるわけがない。

薬局でジェネリック医薬品に変わっていて、

容器も色も、見たことがないようなものになると

混沌としてくる。

それで、薬局で薬を受け取ったときに、自分が思っていたのと違う、と

なると、また薬局から電話がかかってきて、

あれが欲しかったのに、とか言われる。

 

 

だから、ほしい薬の名前と必要な本数を、

紙に書いてきてほしいのだ。

 

 

こんな患者さんも困る。

 

医者が患者さんの病気について説明しようとすると

それを遮って、自分が言いたいことを言う。

せっかく、説明しようとしているのに、なぜに遮る?

 

遮って、その話の流れに沿ったことを言うなら、まだいいが、

全く関係のない事を言いだしたりする人もいる。

 

とすると、この人は私の説明を全く聞いていない、

ということになる。

 

そんな人、いるのか、と思うかもしれないが

結構いる。

 

そういう場合は、ちいさくため息をついて、

もう説明するのをやめてしまう。

やる気がなくなるのだ。

別に私の説明なんて、どうでもいいんでしょ、と。

で、点眼を適当に出して、帰ってもらう。

 

耳の遠い患者さんも、似たような傾向がある。

 

人の話が聞き取りにくいから、

聞こうとするのを諦めてしまっている癖が付いている。

だから、自分が言いたいことをベラベラ喋って、

人の話は一向に聞こうとしない。(または聞こえない)

 

そういう場合も、話をするのを諦めてしまう。

 

ちなみに、

耳の遠いお年寄りは、低い音が聞き取りやすい場合が多い。

だから、嫁が姑に、キャーキャー文句を言っても、

姑は知らん顔。

それを見た嫁が、小さく「まったくもう・・・」というと

「え?なんだって!!」と返してくる。

低い声ば聞き取りやすいのだ。

だから、耳の通りお年寄りには、低い声でゆっくりを話せば

意外と聞こえる。

 

グーグルのアプリで、「音声入力」というのがあるが、

タブレットに入れて、発音すると、画面に大きめの字で

表示される。

一度試してみようと思っている。

 

 

 

銭湯でのシャワーマナーを考える

スーパー銭湯日帰り温泉施設に行くと、

周りの人のシャワーがよく飛んでくる。

 

ちょっと、何なの、この人、

と思ったこともあったけど。

 

近くの銭湯へ行った時の話。

 

ここで体を洗おうかな、と座ったところ、

後ろのおじさんから、すごい量のシャワーが

飛んできた。

 

やむを得ず、隣の席に移った。

 

ところが、だ。

 

僕が洗髪した頭を、シャワーで洗っていると、

そのおじさんが、

俺の方にあんたのシャワーが飛んでくるぞ、と

クレームを付けてきたのだ。

 

えーっ、おいおい、それをお前が言うか?

 

と、同時に、自分はどうか。

 

先ほど、シャワーが飛んできて迷惑に思ったので

隣に移動した自分が、今度は人にシャワーを飛ばしているのだ。

 

私の結論としては、

人にシャワーを浴びせないように、気をつけはするが、

まわりにどうしても飛んでしまうことは避け難いので、

それはそれで、もうそういうものとして、受け入れる。

ということだ。

 

 

患者さんの3割は、別に来なくてもいい人。それでも通院してもらう事情。

他の科はどうか知らないが、

私の眼科では、

だいたい1日に来る患者さんの3割くらいは、

別に受診しなくてもいい方たちだ。

 

目がしょぼしょぼする、とか、

目がゴロゴロする、とか、

目が疲れる、とか、

目を閉じている方が楽だ、とか、

朝、ちょっと目やにがでる、とか、

 

別にそんなのは市販の目薬とかで、いいんじゃないか。

 

もちろん、鑑別診断は必要で、

他になにか病気が隠されている場合もあるが、

特に重大な疾患がない場合は、

いわゆる「不定愁訴」にくくられる。

 

例えば、目を閉じている方が楽だ、というのは、

そりゃ、当然、目を閉じている方が楽に決まっているが、

中には隠れ眼瞼痙攣やドライアイがある。

 

しかし、だいたい、高齢者になると、

耳は遠くなるわ、

歩くのはヨボヨボになるわ、

歯は抜けるわ、

脳は衰えるわ、

そんな全身状態で、目ばっかりバッチリ調子いいわけがないのだ。

 

結局、目も全身の一部なのだ。

 

それを、この薬は効かない、あの薬も効かない、とか

そんな魔法の薬はありません。

 

だったら、その前に、100mを20秒以内で走ってみたら

どうでしょうか。

 

しかし、

そんなことを内心思っていても、

もう来ないでください、とは決して言わない。

 

国は、医療費を削るために、あれこれ策を練っているが、

私達医療機関では、だからといってそういう患者さんを

切ってしまうと、赤字になってしまうのだ。

 

医療費がどうなろうとも、

病院としては黒字を維持しなくてはいけないので、

別に来なくてもいいような患者さんでも、

別に効きもしない薬を処方し、

別に必要もないのに1ヶ月後の予約を取る。

 

それを患者さんも望んでいる。

 

WINWINというわけか。

 

さらに、

ルーチンという名のもとに、

特別必要というわけでもない検査をする。

私のところではそうでもないが、

たまに開業医に代診に行くと、

ことごとく来るたびに視力・眼圧を測っている。

さらにOCTや眼底写真も撮る。

これで結構な診療報酬の点数となる。

 

開業医は本当にひどい。

私達勤務医は、病院の医療収入が増えたからといって

給料が増えるわけでもないのだが、

開業医は増えた分だけ自分(だけ)が、潤う。

スタッフには残業代などうるさく言って、

経費を減らそうとしている。

 

ちょっと結膜炎などなれば、

病院だと1回診てそれで終わりだが、

開業医だと、明日また来てください、とか言うところもある。

 

結局、患者さんの「延べ人数」が増えればいいので

そうすると頻繁に受診させればいいのである。

 

ま、それで患者さんもよく診てもらえる、と

勘違いして喜べば、一向に構わないのだが。

 

白内障の手術では、特にひどい。

ちょっと白内障があるだけなのに、

もう手術しなくてはいけない、みたいなことを言って

手術してしまう。

白内障があるから手術するのではなく、

水晶体があるから手術するのである。

 

開業医でそう言われて、不安になり

私のところを受診する患者さんは何人もいる。

それで検査してみると、全然手術する必要なんかなくて

まだ、様子見ましょうね、となる。

 

私のところに2ヶ月に1度通っている患者さんがいる。

その人が調子悪いことがあって来院したが、たまたま眼科が

休診だった。

それで近くの開業医へ行ったが、

なんと白内障の手術を受けて帰ってきた。

そんなことありうる?

普通、他の眼科に通っていて、たまたま来ただけで

かかりつけ医になんの断りもなく手術しちゃうなんて。

 

ちなみに、白内障の手術を1件すると、

日帰りで15万の収入になる。

ここから材料費(消耗品や眼内レンズなど)を引くが、

眼科ではかなりの収入源となる。

 

これが1件10分前後で手術が終わるわけだから、

手術をしている開業医は、件数を稼ぐのに必死で、

なりふりかまっていられないわけだ。

 

私の近くの眼科は、

手術する前は、早くしましょうとか言って、

手術が終わって、調子悪いことがあっても、

別に大丈夫ですよ、とか言って知らん顔をする。

眼内レンズの度数がすごいズレていて、

左右片ちんばになってしまっているのに、

たいした説明もフォローもせず、

それで患者さんが私のところに泣きついてくる。

 

そんなひどい開業医ばっかりではないはずだが、

そういうところも実際にはある、という話である。

 

内科でも同じだ。

白内障の手術をする前に、かかりつけ内科に

全身状態のコンサルトをするが、

あまりにひどい状態で放置していて、

慌てて病院の内科の方で詳しく診てもらってくれ、などと言い出す。

 

それでいて、収入はヘロヘロに疲弊している勤務医の3倍だという。

 

 

 

 

 

 

 

 

和式トイレはなぜいるか?

トイレは和式じゃなきゃダメ、っていう人は

どのくらいいるだろうか?

 

私は和式トイレがこの世から絶滅してくれればいいのに、

と思っている。

 

いま現在、和式トイレの出荷数は1%以下になってしまった。

出荷率の話なので、実際の設置割合は、和式がもっと高いだろうが、

新しくトイレを設置する場合は、ほとんどすべて洋式ということになる。

 

和式じゃなきゃダメ、という人の言い分は、

「不特定多数の人が便座に座るから、不潔だ。」

ということだ。

 

しかし、実際には、大抵の場合便座クリーナーが付いているから

それできれいにすれば、本当の意味での不潔であることの

「雑菌」はほぼ解消される。

 

それでもなぜ汚い、というのかというと

もう感情論、ということになる。

 

汚いかどうか、という点で考えると、

便座よりも、あなたのスマホの方が、たくさんの雑菌が付いているし、

和式便所の床には、洋式とは比較できないくらいの、たくさんの大腸菌

付いている。それがあなたの靴にたくさん付いてしまうのだ。

だから、洋式よりも和式のほうが、断然「不潔」なのである。

 

ウォッシュレットが気持ち悪い、という人がいる。

じゃ、使わなければいいじゃん!、っていう話ですよ。

 

ただ、マナーの問題で、

ウオッシュレットを使って便座が濡れてしまったら

次の人のためにきちんと拭いておくべきである。

 

結局、和式トイレじゃなきゃダメ、という人は

アタマカチンコチンの偏見人間、ということです。

事実を無視して、感情だけで言う人。

 

私はまだ高齢者じゃありませんが、

庭仕事や雪かきで膝を痛めてしまい、和式でしゃがんだり

正座をすることができない。

高齢者も、膝関節症などで、しゃがめない方が多く、

やはり和式トイレは使えないようだ。

 

それを、なんだ!!これは!!

高速道路のパーキングエリアのトイレ!!

2個しかないのに、その1個が和式。

しかも和式とオスメイトの組み合わせって??

なんなんだ?

なんかJHにはへんな規則があるのか。

 

そもそも2個しかスペースがないんだったら

全部洋式にしろ、という話です。

こういうPAがたくさんあるのです。

 

ちなみに、私の病院にはトイレは洋式しかないが、

しかし、病院であるのにも関わらず、便座クリーナーが付いていない。

いまや、コンビニでも、スーパーでも、どこでも

クリーナーくらい付いているのに、病院にないってありうる?

 

院内には「感染対策委員会」なるものもある。

投書で、そのクレームもあった。

なのにいまだに便座クリーナーを付けようとしないのは

どうしてだろうか。

 

ちなみにちょっと前まで、医局の手洗い場には

使い捨てペーパーではなく、みんなが使うタオルであった。

昭和か、って。

 

 

車列の先頭は、たいていプリウス

あくまで、私の主観だと、予め申しておきますが、

 

単線の国道など走っていて、

とくに郊外など住宅もなく、信号もないような

そんな道路で、

車が何台も連なっていて、後続車がみんなイライラしている、

その先頭は、

プリウスが多い気がする。

 

もちろんプリウスだけではなく、フィッツなどの類似の小型車や

軽トラの場合も多いし、ダンプや大型トラックなどの場合もある。

 

が、プリウスが目立つ。

 

後ろを見ないで運転しているのか、

詰まっているのを知っていても、気にしないのか、

自分の運転に必死で、そんな余裕もないのか、

自分さえ良ければ、人の迷惑なども考えないのか、

とにかく先頭をノロノロと走っている。

 

交通の流れに乗る、というのは大事なことで、

逆に事故を減らすことになると思う。

自分は安全運転のつもりでも、それがまわりをいらいらさせたら

結局は事故につながってしまうのだ。

それができないのなら、それなりの運転をするべきだと思う。

 

僕は以前から、プリウスが嫌いだ。

正確には、プリウスに乗っている人が嫌いだ。

さらに正確に言うと、数多ある車種のなかから、

プリウスを選んでしまうような、そういう人が嫌いだ。

 

何度もいうが、これは僕の主観だが、

プリウスを選ぶ人は、

平凡な人、つまらない人、ありきたりの人、

長いものに巻かれてしまう人、

個性のない人、

自己主張をしない人、

そんな人だと思っている。

 

そうでないとプリウスには

恥ずかしくて乗れないと思う。

 

みんな乗っているから、いいのだろう、とか、

燃費がいいらしいから、選んだ、とか

つまらなすぎる。

 

 

プリウスの販売台数は、数年前の半分ほどになっているらしい。

それはいいことだと思うが、

それでも順位は3位だ。

 

だいたい日本人は、みんなと同じ、が好きだ。

日本では白い車が多いらしい。

とすると、白いプリウスはかなり多いのだろう。

同じ車が前後で走っていたり、信号で止まったら隣が同じ、とか、

頻繁にあるのだろう。

やぁ、どうも、あ、あなたも。

みたいな感じか。

 

ほかに乗りたい車はないのだろうか。

どうして自分の趣味や個性を表すような車を選ばないのか。

 

若い人が、白いプリウスに乗っているのを、以前見たことがあるが、

将来が心配だ。どんな、平凡な人生を送るのだろうか、と。

 

僕の隣に、田舎暮らしをしているお年寄り夫婦が住んでいる。

畑や庭仕事をして毎日暮らしているが、

ホンダのフィットみたいな小型車に乗っている。

 

でも田舎暮らしをしているなら、

ホームセンターで買った資材を運んだり、

ちょっとした農機を修理に持っていったり、

そういったことも多いだろうに、

もうちょっと荷物が載るような車を

どうして選ばないのか、いつも不思議に思っている。

 

結局それで、なんでも運んでもらっていたり、

自分でDIYすればいいようなことも、業者に頼んでいたりしている。

中古の軽トラでも1台買えば、

もっと自由になり、もっと自分でいろんなことをしようと

思うようになるのに。

 

車はその人を変える力があると思う。

 

僕が初めて買った(正確には親に買ってもらった)車は、

ランクルのヨンマルだ。

無骨な四輪駆動車だが、名古屋の専門店で買った。

 

その店主が、こう言った。

「これで君も、もっと元気になれるだろう」

と。

 

たしかにその時の僕は、受験明けで

ひょろひょろ、色白。

身長が180センチあるのに、体重が60キロしかなかった。

 

どうしてヨンマルを選んだのか、全く記憶にない。

進学先が雪国だったから、だけなのか

全く覚えていない。

別にアウトドアが趣味でもなかった。

 

しかし、その店主の言葉通り、

大学進学後はアウトドアに目覚めた。

林道を走り、キャンプをする、そんな趣味を持つようになった。

さらにはバイクの免許も取り、テントを積んで

日本一周もした。

実家に帰省するときは、片道700キロを、

年末の寒い時期でも車中泊しながら24時間かけて車を走らせた。

 

だから、やっぱり、車は、

その人を変える力があるし、

また好きなことをより伸ばしていく力があると

思っている。

 

外来で患者さんを診ていると、

することもないので一日中テレビを観ていて

それで目がしょぼしょぼする、と言って受診するお年寄りがいる。

 

人生の最後がそれじゃつまらなさすぎる。

別に体が不自由なわけでもないのに、

何か他にしたいことはないのかと思ってしまう。

 

若い頃は、何にでもトライしてみたほうがいいと思う。

それが三日しか続かなくても、いろんなことをかじってみることは

大事だと思う。

歳をとってから何かを初めてするのは大変だが、

以前ちょっとでもやったことがあれば、

それは昔とった杵柄、簡単にまた始めることができる。

 

やったこともないことを、できない、と言う人がいるが、

それはやろうとしていないのである。

 

知ろうともしないのに、わからない、という人、

やろうともしないのに、できない、という人、

もっと自分の可能性を信じて、世界を広げていくべきだ。